奈良市内を中心にヨガをお伝えしています。ヨガのまわりー日々の何気ない暮らしーで感じることや考えることを綴りながら、自分や世界と深くつながっていけたらと願う気ままな日記です。

微調整しながら

先日のクラスのはじまりのこと。季節の変わり目なので体調とかどうですか?と聞いてみたところ、朝晩涼しくなってきた実感と、それに合わせて窓を開けたり閉めたり、掛け布団を少し厚くしたり、調子の悪いときは動くようにしている、とそれぞれの体感に合わせた日常の様子を教えてくれた。

ちょっとしたことだけれど、それで体調を保てるのだから面倒に感じることもありますがお互いにちょこちょこ微調整していきましょう、というところに話は落ち着いた。

みなさんそれぞれに自分自身の元気や健康のについてどんなイメージだろう?

わたしの場合、ヨガのインストラクターです、と言うと”健康的で元気”というイメージをもたれやすくて、それはある程度は当たっているとは思うけれど、そもそも健康や元気の指標って体感や質に合わせてそれぞれ違うものをもっているので、きっと想像されるほど一般的な元気ハツラツ!ではないです。

どちらかというと子どもの頃から虚弱な方だった。変なプライドを纏って強気にみせてはいたけれど。学校も遅刻欠席は多かったし、途中まで行ってやっぱり帰るもよくやった。高校のときは「まず学校に来い」とよく言われていた。(行かなかったのは虚弱だったからだけではないけれど)

体力がないと学校も仕事も、周りの人が普通そうにできていることもちょっとハードルが高くていつも心のどこかでドキドキ緊張と不安があって、そしてできない自分にだんだんダメ出しをしはじめる。休むことへの罪悪感も出てくるので、体調を保つということに囚われすぎて強迫観念みたいなものもあった。こうじゃないとダメ、これをしてはダメ。いや、真面目なのだなー、結局、あはは。

極めつけにそれは気持ちの問題と言われたときにはもうノックアウト。今となっては気持ちで保つことも一つ必要なことだと思うけれど、とは言っても気持ちだけでどうにかできる範疇を超えていた。

ヨガをはじめたのは体力をつけたいとか健康になりたいという理由ではなかったし、今もそれだけを目的にヨガに向かっている訳ではない。けれどそれは神様はお見通しだったのだなと今になって思う。体の健やかさもそれ以外の色々な理由も含めて、わたしに一番しっくりくる方法を与えてくれたのだなぁと思う。

結果的に前よりも体はずいぶん楽になったし、けっこうひどかった気持ちの浮き沈みもほとんど(ほとんどっていうことは少しはあるのですよ)なくなった。体にアプローチして心も楽になるということが実感できるようになって、道筋が見えたことにもほっとしたし、続けるうちにだんだんと楽になるための自分に合った対処法、考え方もある程度分かるようになったことは大きな財産だと思う。

とは言っても、それでも変わらない質はあって、体力のある元気ハツラツな人と比べてしまえば優劣をつけることは簡単にできてしまう。だけど自分の元気・健康の指標がある程度分かると、理想を掲げすぎて高く設定しないことが大切なんだなということにも気付けたし、ここの辺りまでだったら多少の無理も大丈夫だろうとか、この食事は止めておいた方がいいとか、逆に、調子を落とすこともあるさ、その時はしっかり休もうとも楽に考えられるようになって、振れ幅ができたように思う。頑丈に固いだけだとぽきっと折れてしまうけれど、しなやかに揺れることができれば揺れながらも落ち着いていける。その繰り返しが自分への信頼を深めて、またその幅を少し広げてくれる。

大切なことは自分自身をそのままに感じてみること。ただ、今そうなんだなと、良い悪いの判断なくまずは受け入れること。その上でどうしたら心地いい?をいのちに聴いてみる。絶えず動いて変化しているいのち、そしてそれは明るい方へと流れている。その信頼をベースに、丁寧に自分の今を感じてみて、それぞれが自分らしい健やかさへたどり着けたらいい。

わたしもゆるゆると行きつ戻りつしながら足したり引いたり、なるべく明るく、自分の気持ちいい、心地いいを探していきたい。


そして実は最近わたしは季節の変わり目、夏の疲れがではじめたのか、少し調子を落とし気味。睡眠時間が長くなってなかなかスッキリ起きられない。ひとまず早めに寝るようにして、そして寝る前にしっかりほぐしてリラックスさせる、瓦でお腹まわりを温める、を続けて様子を見てみようと思っている。何が必要なのか、結局はやってみるしかないのだから。”信じるな、疑うな、確かめよ” だな!